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三日月地域づくり協議会のホームページです。地域の部会活動やイベントなどの情報をお知らせします
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mikazuki0790
2021年5月11日読了時間: 2分
みかづきさんぽ㉘ 大庭先生謝恩碑
茶屋クラブの上、旧廣業小学校の運動場の東端に立つ塔には「大庭先生謝恩碑」とある。建立の除幕式は昭和12年(1937)5月11日に行われている。 大庭先生とは大庭哲郎氏のことで、明治30年(1898)1月から大正8年(1919)3月まで、実に22年余の長きにわたって廣業小学校...
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2021年4月20日読了時間: 2分
みかづきさんぽ㉗ 茶屋の洪水紀念碑
明治初期は、どこの河川においても土手堤があっても石積みの堤防はまだ整備されていない所が多く、そのため、たびたび水害に悩まされたようで、中でも明治23年(1890)と25年(1892)の洪水は未曽有と言われるほど大きな被害をもたらし、悲惨さを極めたそうだ。...
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2021年4月20日読了時間: 1分
みかづきさんぽ㉖ 三日月中学校
三日月地域の学校の歴史は、明治5年(1872)の学制発布に始まる。まず小学校から整備が始まり、6小学校が置かれた。大正時代には廣業と大廣、大畑の3校になっている。戦時下には国民学校の名称になるが、戦後は6・3制となり廣業、大廣、大畑の3小学校と新制の三日月中学校が置かれた。...
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2021年4月20日読了時間: 1分
みかづきさんぽ㉕ 廣業小学校
廣業小学校の名称は藩校名であった廣業館から受け継いでおり、明治17年(1884)に旧藩邸を茶屋に移し校舎を建築した。その時、物見櫓も移し1階を職員室に、2階を作法室に使用した。校舎移転の費用は多くの住民の寄附金で賄われた。校歌は皇紀2600年(昭和15年)を記念して作詞・作...
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2021年3月16日読了時間: 1分
三日月さんぽ㉔ 大廣小学校
三日月地域における学校の歴史は、明治5年(1872)の学制発布に始まる。まず小学校から整備が始まり、乃井野に廣業、三日月に愛敬、下本郷に道紀、志文に和仁、末廣に頼徳、大畑に歐窶(勉栴)の各小学校が置かれた。大正時代には廣業と大廣、大畑の3校になっている。戦時下には国民学校の...
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2021年3月16日読了時間: 2分
三日月さんぽ㉓ 嘉平地蔵
宇野山峠の頂上の南、藪の中に地蔵尊が立っている。その地蔵尊が祀られるに至る経緯を『佐用郡誌』から読み解いてみる。 宇野山峠の頂上の南、藪の中に地蔵尊が立っている。その地蔵尊が祀られるに至る経緯を『佐用郡誌』から読み解いてみる。明治の初めごろ、赤穂郡矢野村に住む嘉平という人が...
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2021年3月16日読了時間: 2分
三日月さんぽ㉒ 徳平の城山
徳平橋の上に、木の茂った山が道や川に突き出るようにある。これが徳平の城山(じょうやま)で、中世の城跡と言われている。しかし、城とはいっても土塁がある程度の山城で、敵が攻めてきた場合に逃げ上がって立て籠もり、敵からの攻撃を防ぐようにした場所で、いわゆる砦である。建物を据えるよ...
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2021年3月9日読了時間: 2分
三日月さんぽ㉑ 新宿の宝篋
末廣の新宿集落の北、山裾に「中津川の宝篋印塔」がある。この塔の高さは約1mで、蓮華座の台座には「播磨国中津河」「嘉慶二(1388)八月十九」と刻まれている。 中津川とは『播磨国風土記』に見られる「中川の里(仲川の里)」、また『和名類聚抄』にある「中川郷」のことである。その名...
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2021年3月9日読了時間: 2分
三日月さんぽ⑳ 三日月八景
乃井野の列祖神社には上の写真のような額が上がっている。明治18年(1885)、新宿の後藤 譲氏奉納の七十一個翁と記された「三日月六題和歌」である。 1.五谿(ごがたに)残雪 五谿とはJR三日月駅の南にある山の谷で、北向きのため雪が融けにくく、残雪がいつまでも消えない。その景...
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2021年3月9日読了時間: 1分
三日月さんぽ⑲ 日岡八幡神社
日岡八幡神社が乃井野のこの地に祀られたのは平安時代の天喜元年(1053)で、京都の石清水八幡宮の播磨別宮として勧請されたと伝えられている。「日岡(ひおか)」というのは、日のあたる岡を意味し、お宮の裏山を日岡山と呼ぶことに由来する。...
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2021年3月2日読了時間: 2分
三日月さんぽ⑱ 日限地蔵尊
田此で名高いのは、日限地蔵尊である。今から186年前の天保3年(1833)ころに、地蔵を深く信仰していた三日月藩士の牧 稲右衛門が、江戸から参勤交代の時に持ち帰ったというのが始まりであると、伝えられている。当初は乃井野(郭内)の自宅に祀っていたが、やがて家から毎朝日の出とと...
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2021年3月2日読了時間: 2分
三日月さんぽ⑰ 芭蕉の句碑
茶屋には、真栄山福仙寺がある。この寺はもと三日月の西村にあって鶴林庵といい、後醍醐天皇の旧跡であったが、火災で焼失した後、平福で廃寺になっていた福仙寺の建物を寺号とともに譲り受け、現在地に再建されたと伝わっている。 この福仙寺は、済露山高蔵寺とともに森家の寄進を受け、円通山...
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2021年3月2日読了時間: 1分
三日月さんぽ⑯ 三日月の大椋
樹高18.5m、根廻13.6m、幹囲9.9mもある推定約800年のムクノキが湯浅の久森家にあり、樹勢は衰えることなく「森の木」との愛称をもっている。これは県指定の天然記念物である。 その根元には大きなこぶがあり、幹の中は空(うろ)になっており、昔からその中に白蛇がいるとの伝...
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2021年2月16日読了時間: 2分
三日月さんぽ⑭ 志文の六地蔵
各所にある多くの六地蔵は葬式の引導場に建てられることが多いが、ここ志文の六地蔵はそれらとは異なった由来がある。この横には三日月の乃井野から宍粟の土万につながる道が通っている。かつて、江戸時代のこと、三日月藩領である土万の百姓たちは冷夏による不作続きで年貢に苦しみ、生活に困窮...
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2021年2月16日読了時間: 2分
三日月さんぽ⑬ 忠霊塔
忠霊塔の定礎に「皇紀二千六百年紀念 昭和十五年建設」とある。皇紀(こうき)とは、初代の神武天皇の即位を元年とし、西暦よりも古い紀元前660年を皇紀元年としたものである。昭和15年(1940)がちょうど皇紀2600年目ということで、この年は全国で様々な催しが行われた。時あたか...
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2021年2月16日読了時間: 1分
三日月さんぽ⑫ 新宿廃寺跡
宇野乢(うのたわ)を下った台地状の麓は「塔垣内」という地名で、以前から、その昔に塔があった所と伝承されている。 田に囲まれた公孫樹などの木々が並ぶその場からは、かつて、多くの布目がついた平瓦や丸瓦を発掘し、学者に鑑定・調査してもらうことがあったようで、その報告によると、奈良...
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2021年2月16日読了時間: 2分
三日月さんぽ⑪ テクノの供養塔
三原の荒神社の横に、「三界万霊供養塔」が建っている。その由来が、平成2年(1990)1月付で裏面に記されている。「二十世紀末に計画設立される西播磨テクノポリス都市が二十一世紀の幕開けとなり科学文明と人類平和への礎とならば望大の喜びである。設立に協力・尽力下さった方々への深甚...
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2021年2月9日読了時間: 1分
三日月さんぽ⑨ 平知盛塚
旧家に残る古文書には、源平合戦で平家一門が滅び去った際、入水を免れた者たちが深山幽山に忍び入り、この地に隠れ住んだとある。また、この地を開拓・耕作し大いなる畠を開いたことから「大畑村」と呼ぶようになったともある。 堂内には二基の五輪塔があり、平知盛夫妻のものといわれる。その...
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2021年2月9日読了時間: 1分
三日月さんぽ⑧ 高畑古墳
昭和37年(1962)2月、大広小学校の6年生によって学校裏の畑の中から多くの須恵器の破片が見つけられた。つづく発掘によって一号、二号の古墳が認められ、三号古墳も推定された。一号古墳からは土師器の壺、鉄器の矢じり、耳飾り、金環などが出土し、二号古墳からは大刀、首飾り、馬具、...
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2021年2月2日読了時間: 1分
三日月さんぽ⑦ 北条時頼座像
北条時頼は寛元4年(1246)より10年間、鎌倉幕府五代目執権として裁判制度などの改革を図り、幕府体制の強化に努めたことで知られている。 執権の地位を長時に譲ったのち、仏門に入り覚了坊道崇と名乗り、最明寺入道と呼ばれ旅僧に姿をかえて諸国を行脚したことは『増鏡』や『太平記』に...
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