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mikazuki0790

三日月さんぽ⑰ 芭蕉の句碑

 茶屋には、真栄山福仙寺がある。この寺はもと三日月の西村にあって鶴林庵といい、後醍醐天皇の旧跡であったが、火災で焼失した後、平福で廃寺になっていた福仙寺の建物を寺号とともに譲り受け、現在地に再建されたと伝わっている。



 この福仙寺は、済露山高蔵寺とともに森家の寄進を受け、円通山慶雲寺と並んで、藩士の菩提寺として栄えていった。今に残る本堂や庭にその往時を偲ぶことができる。

この寺で名高いのは、山手にある福森稲荷の横に立っている芭蕉の句碑である。そこには、「三日月や 地は朧(おぼろ)なる 蕎麦畠(そばばたけ)」と刻まれ、右下に「芭蕉吟」とある。この句は、三日月の特産物である蕎麦を広く知ってもらおうとする際に、よく使われる。そこでよくこんな質問を受ける。「えっ、あの芭蕉がこの三日月に来て、詠んだのかな」と。確かに、芭蕉は旅好きで知られている。東は、遠く奥羽地方まで出かけたときの『奥の細道』は有名である。しかし、西は畿内から須磨・明石あたりまで来た記録しかない。



 芭蕉の句碑が残っているのは、町内では平福に、近隣では宍粟市や姫路市、たつの市にもあるが、それらは芭蕉没後になって全国的に俳句が盛んになり、その地方の俳人たちによってその土地に縁のある芭蕉が詠んだ句を石に刻んで立てたものと考えられている。

 いずれにしても、江戸時代の文化や俳句を調べるときに、先人が残してくれた資料の一つとして今後も大切にしたいものである。

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