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mikazuki0790

みかづきさんぽ㉘ 大庭先生謝恩碑

 茶屋クラブの上、旧廣業小学校の運動場の東端に立つ塔には「大庭先生謝恩碑」とある。建立の除幕式は昭和12年(1937)5月11日に行われている。

 大庭先生とは大庭哲郎氏のことで、明治30年(1898)1月から大正8年(1919)3月まで、実に22年余の長きにわたって廣業小学校の校長として勤められた人である。この謝恩碑は、職員や児童に敬われ、親しまれ、退職後も町内に留まって住まわれている先生に感謝して、多くの教え子たちの募金や寄附によって完成したものである。碑文には、漢字ばかりで生い立ちから経歴、功績が刻まれている。それを要約し、箇条書きにしてみると次のようになる。 


・もとは鳥取県の藩士の次男で、元治元年(1864)生まれ、明治6年小学校入学、17年卒業後、鳥取県の小学校訓導(今の教諭)、さらに京都府内に移り学校に勤める。 


・明治30年乞われて兵庫県に移り、廣業尋常高等小学校の校長として着任。 


・永年(22年間)の校長職。薫陶を受けた生徒は2千人余。 


・古希を迎えるようになった頃、門弟(教え子たち)が先生の功績を記念碑にしようと発案した。

この碑文を撰書したのは、教え子の宗光杢太郎氏である。彼は廣業小学校高等科から、姫路師範学校、広島高等師範学校を出て、姫路高等女学校、姫路師範学校、茨城県立龍が崎高等学校、太田高等学校などで教諭、校長を歴任し、その後、土浦日本大学高等学校に勤務された経歴を持ち、昭和42年(1967)に三日月町名誉町民(第3号)に選ばれた人である。

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