日岡八幡神社が乃井野のこの地に祀られたのは平安時代の天喜元年(1053)で、京都の石清水八幡宮の播磨別宮として勧請されたと伝えられている。「日岡(ひおか)」というのは、日のあたる岡を意味し、お宮の裏山を日岡山と呼ぶことに由来する。
江戸時代の寛永元年(1624)、村人が開墾のために近くで草を焼き払っていたときに延焼し、本殿その他が焼失してしまった。その後、明暦2年(1656)に神主や庄屋をはじめ村人たち氏子が寄進し、本社を再建・増築・遷宮した。本宮は、三間社流造り、千鳥破風、軒唐破風の構造に特色がみられ、町指定の建造物になっている。
現在の拝殿は元文5年(1740)、藩主の森 俊春が建て直したもので、以降、当社を信仰していた森家が代々、氏子とともに維持運営を手厚く支援していった経緯がある。
この隣にある列祖神社は、藩主森家代々の霊を祀っている。この社は江戸・目黒の藩邸にあったものを明治3年(1870)、この場所に建て直したもので、今では地域の人々はこのお宮を「列祖(れっそ)さん」と親しみを込めて呼んでいる。
三日月地域にはこの他に、久保の八幡神社、新宿の十二世神社、三原の荒神社、大畑の山神社、添谷の熊野神社、三日月の盤筒神社などがある。
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