三原の荒神社の横に、「三界万霊供養塔」が建っている。その由来が、平成2年(1990)1月付で裏面に記されている。「二十世紀末に計画設立される西播磨テクノポリス都市が二十一世紀の幕開けとなり科学文明と人類平和への礎とならば望大の喜びである。設立に協力・尽力下さった方々への深甚の謝意と将来発展へのメッセージの塔でもある」と。その当時、播磨科学公園都市が計画された経緯と展望が刻まれている。
供養塔
昭和55年(1980)に構想が公表され、西播磨4市21町(当時)からなる建設促進協議会が発足、さらに三日月町・新宮町・上郡町の地元3町が協議会を設立したこと。その構想では、開発面積2,000余ha、人口36,000人、住宅約10,000万戸を目標としていた。さらに主な施設として、大型放射光施設や県立姫路工業大学理学部、情報処理技術者養成施設、コンピュータカレッジなどが集積する国際的な科学公園都市の形成を目標としていたことがわかる。
開発前の山野
時代の変遷や社会・経済状況の変化などによって、当初構想からは大幅な変更が余儀無くされながらも、現在は、大型放射光施設SPring-8、エックス線自由電子レーザーSACLA、中型放射光施設ニュースバル、県立大学理学部、県立先端科学技術支援センターなどの研究施設や、行政機関の西播磨県民局、多くの教育施設、医療施設、環境学習施設などが運営展開されている。さらに播磨自動車道のインターチェンジができ、住宅地や産業用地の整備と誘致が進んできている。
今、この塔の前に立つとき、過去・現在から未来へと見通した先人たちの大きな展望とともに、一切衆生の生死輪廻の世界においてすべてのものが調和と発展を図ろうとする願いが鮮明に伝わってくる思いがする。
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