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mikazuki0790

三日月さんぽ⑱ 日限地蔵尊

 田此で名高いのは、日限地蔵尊である。今から186年前の天保3年(1833)ころに、地蔵を深く信仰していた三日月藩士の牧 稲右衛門が、江戸から参勤交代の時に持ち帰ったというのが始まりであると、伝えられている。当初は乃井野(郭内)の自宅に祀っていたが、やがて家から毎朝日の出とともに拝むことができる東向いにあたる田此の夫婦岩の上の石山という所に移し、さらに現在地に落ち着いた。



 多くの藩士が信仰を深め、明治維新の戊辰戦争(奥羽の戦い)に出征した藩士たちは出陣前に祈願し、この地蔵尊のおかげで弾に当たらず死傷者が出なかったというので、さらに多くの人々の信仰を集めるようになったと伝えられている。廃藩後の明治6年(1873)、東京の森邸にあった地蔵尊をさらに持ち帰って同じお堂に祀った、と記録にある。

 そうした地蔵尊のご利益がさらに広まるきっかけとなった話が残っている。明治32年(1899)、足の不自由な人が小車を付けた板に乗って、この地蔵尊に日を限ってお参りを繰り返したところ、ある日、その足が直って歩いて帰れるようになったという話である。その喜びから、要らなくなった小車の付いた板を奉納したそうだ。その後も同じような話があり、松葉杖などが奉納されるようになった。日を限って願い事をすると叶うというので、いつしか、ここの地蔵尊を「日限(ひぎり)地蔵」と呼ぶようになったということである。


現在も、八月の地蔵盆や一月の初護摩などでにぎわっている。

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