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mikazuki0790

三日月さんぽ㉓ 嘉平地蔵

 宇野山峠の頂上の南、藪の中に地蔵尊が立っている。その地蔵尊が祀られるに至る経緯を『佐用郡誌』から読み解いてみる。

 

 宇野山峠の頂上の南、藪の中に地蔵尊が立っている。その地蔵尊が祀られるに至る経緯を『佐用郡誌』から読み解いてみる。明治の初めごろ、赤穂郡矢野村に住む嘉平という人がいた。行商のため嘉平は三日月村の宿に泊まり、呉服物を商っていた。一方、美作から乃井野に移り住んだ喜八がいた。喜八は嘉平から反物などの品物を買ったものの、その代金の支払いに困っていた。ある夜、喜八は「代金を支払うから」と、昔から鬼が出るとの噂がある宇野山道に嘉平を誘い出した。峠にさしかかったとたんに、喜八は用意していた刃物で嘉平を斬殺した。

 嘉平には娘がいて、成人して嫁いで「大村ムツ枝」といった。彼女は亡き父の冥福を弔うため宇野山峠に地蔵尊を祀った。それ以来、人々はその地蔵を「嘉平地蔵」と呼んでいる。地蔵尊の台石には「発起人 大村ムツ枝 大正十一年九月」とある。



 この場所は『佐用郡誌』の第5章名勝の中で「大廣村の宇野山」と記されている。それに続く名勝には「弦谷山」や「御腰掛け石」「落葉の清水」「三方里山」が挙げられている。弦谷に銅山があり試掘された跡があること、茶屋に後醍醐天皇が通られた際に腰を掛けられた石があること、乃井野に播磨十水の一つである落葉の清水があること、乃井野に三日月藩の演武場とした三方里山があること等が列挙されている。

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