三日月の名の由来には、一つに、「鎌倉時代の執権・北条時頼が現在の三日月に3ヵ月間滞在した。すなわちその3ヵ月から、『三日月』となった」といわれています。北条時頼が3ヵ月もこの地に滞在したとなれば、当時の地域の人々にとってはかなりショッキングな出来事。それが地名になっても不思議はありません。このことが、三日月という名に結び付いたという説です。
しかし、これ以前に「みかづき」という名が残っています。それは、各地の名前の由来を記した播磨風土記です。これに記載されている内容は次の通りです。
「仁徳天皇のころ、出雲の国の豪族が好き放題をしていました。そこで、これをこらしめるためにその一族を朝廷に連行するよう役人に命じました。しかし、連行の間もその豪族らは言うことを聞かなかったせいか、役人はたびたび川の水に顔をつけ、懲らしめながら大和朝廷に向かっていました。この地に来た頃、また水づけにして苦しめていると、そのうちの一人が随分高貴な首飾りをしていることに気づいた。それでその身分を訪ねたところ「朝廷の大臣の娘で、出雲に嫁いでいる」と分かった。それで、その役人は大慌て。大変なことをしてしまったとその人を丁重に送り返した」と。すなわち「高貴な人とは知らず、役人が水づけをしてしまった所』と言うことから、「みずづけがはら」ひいては、「みかづけがはら」そして「みかづき」となったという説もあります。(出典=三日月町史)
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