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三日月さんぽ⑤ 弓の木

  • mikazuki0790
  • 2021年1月26日
  • 読了時間: 1分

 国道179号線から川を隔てた山裾に一群の林があり、その中に大きな枝が北に向かって突き出しているのが見える。それが『弓の木』である。その木はムク(椋)で県の天然記念物に指定されている。



 およそ800年もの昔、承久3年(1221)3月、北条氏追討の院宣を下した後鳥羽上皇が(承久の乱)、敗れて隠岐に流されることとなり、その道筋で東の相坂を越えたところで、

「立ち帰り越へ行く関と思ははや 都にききし逢坂の山」と詠まれたと伝えられる。このムクの木に弓を掛けてお休みになったことから『弓の木』と呼び、地名にもなった。この弓の木を仰ぎ見るとき、隠岐の国で悲運の最期をとげた上皇の心情が偲ばれる。

 それから百年余を経た元弘2年(1332)春3月にも、この街道は再び天皇の流人の籠を迎えることになる。正中の変、元弘の乱に失敗した後醍醐天皇の隠岐島への西遷である。



《 河本大作之碑 》


 そこから西にある雲上山明光寺の境内には、高さ5mあまりの『河本大作之碑』が建っている。傍らの大作のブロンズ像をはめ込んだ歌碑には「赤い夕日の満州野の原に 桜咲かしょと ひとり旅」と、自作の歌が刻まれている。大作が生前に好んでうたった自作の歌だという。

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